幻想の・・・

さてさて、斉藤由貴CD-BOX1.2と買って来たわけなんですが、
買う前迄は「音質評価してみるべ」って息巻いていたわけなんですが
どうも同封されているブックレットを読むにつれ疑問って言うのかな?
「私にとって斉藤由貴ってどういう存在なのだろう?」って考えてしまう
わけでして・・・
昔からビジュアル的にそんなに評価していたわけでもないし、今はもう
一人のオバサンだし、しかし、未だに心を捕らえて離さないってのは
どういうわけだと。
で、自分なりに色々考えてみたさー
斉藤由貴の何が好きなのか?
で、結論として詩と歌声と歌が好きなんだよね、
生身の斉藤由貴がどうのこうのってわけじゃ無いの、
彼女の詩が彼女の歌が紡ぎ出す世界観が好きなわけで、
否、違うな、彼女の紡ぎだした世界観に存在する私の妄想的斉藤由貴が
好きなわけでさ、生身の斉藤由貴が好きなわけでは決して無かったわけ、
だから、生身の斉藤由貴をビジュアル的に評価してなくても、今は一人の
オバサンでも、全然問題無いわけ、だって私の中には私に都合の良い
妄想的斉藤由貴が存在するわけで、それは当時を切り取ったCDを聴く毎に
妄想逞しくなったり(笑)
結局今回、現在の斉藤由貴によるカバーじゃ無く、当時のアナログマスターを
現在の技術でデジタルリマスタリングしただけの事なので、私の中の妄想的
斉藤由貴が壊れる事は無かった、過去に追いやられる事も無かった、その事が
逆に疑問を生んだんだよね、今でも現在進行形ってのはどういう意味?
それは主体が私自身に有ったからに違いないと、過去から現在に至るまですっと
私の中に存在する妄想的斉藤由貴を愛していたのだと、今更ながらに気付く。
生身の斉藤由貴自身はずっと早くに恋い焦がれているものが「幻想の恋人」と
いう事に気付いていた、それを私が気付かない振りをしていただけ、彼女の曲を
聴き続けているとターニングポイントが有る事に気付くんだよね、これを述べると
彼女の曲を最初から解説していかなければならないので時間的にキツク割愛
するけど(その内斉藤由貴のページでボチボチ述べていくかもしれないなぁ)
幻想を破壊する・・・カタルシスがあって、私はその曲を聴くたびに違和感を
感じていたり、裏切られた気になったり、でも、生身の斉藤由貴と妄想の斉藤由貴とは
違うもの、今更ながらにやっと気付く、幻想を幻想と気付かせるのが裏切りなら
生身を生身として思わないのも裏切り、そして、今回、妄想だとわざわざ気付いて
しまったのも裏切り、結局裏切りだらけのくせに、好きだの愛してるだの
馬鹿騒ぎしていたのも未来には微笑ましい過去なのか?
私自身が描いた妄想だと気付いた今、生身の斉藤由貴にとらわれない・・・
いわゆる設定にとらわれる事は無いんだよな、だったら、こういう風に
ひまわりをさしだしてくれる、妄想の斉藤由貴も居て良いわけで。。。



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