凄いパフォーマンスだ!(2)

凄いパフォーマンスだ!ではかなり取り乱していたようで、少し冷静に考えてみた。
ただし、日記を書くという真ダイアリの趣旨”自慰的行為”である事には間違いなく
誰かにぶち込んで快感を得る行為で無い事を明言しておく。
また、これら行為を手伝っていただける心優しい女性も合わせて募集しておく、メール下さい(爆)
{HIT数が少ないと好きな事書けていいなぁ(笑)だれも見てないうちにコソコソっと。}
あとで、消しておこう(--;

1.聴くもの、見るもの、感じるもの。

 先日、何故あんなに感動したのか冷静に考えてみた。
 それは、歌声に感動したのか?
      画面内の彼女の映像に感動したのか?


 まず、歌声に感動したとして、その理由について考える。

 昔からしばしば脳裏に浮かび消えていったのが、
 「本能に元々存在する感情の周波数論」

 仮定として生物には喜怒哀楽の感情を表現する時、特定の周波数成分の音を発する能力があるとする。
 また仮定として、この特定周波数及び振幅量を聴いたとき、 相手がどんな感情であり、どのような感情強度であるか?
 を本能的に感じ取れる(脳内処理にて相手の感情を感じたという錯覚?)能力があるとする。

 となれば、歌声に大きな意味で感情を感じる事は可能となる。

 では、演技でこれら周波数を発する事は可能か?
 人間のように自分の持つ出力範囲で任意に振動数を可変出来る生物ならば可能と言わざるをえない。
 生物的構造として自分の持つ出力範囲外の特異な周波数を出せるとは考え難いからだ。

 ならば、歌声に感じる感情は演技か?という疑問が生じる。
 自分の感情を100%コントロール出来る人間がおり、歌い手全てがそうであるならばYesである。
 でもこれは仮定にもならない、不可能であろう、Noだ。
 正確に言えばコントロール出来る範囲と出来ない範囲があると述べた方が良いだろう。
 技量が高いほどコントロール幅が広がるのは当然だと考えるし、
 またCDのように良いテイクだけをつなぎ合わせれる物は、ますますコントロール幅が広いと言えよう。
 逆に、今回のように生出演生歌の場合コントロール量は少ないと考えられる。
 これは、感情を表現する周波数にコントロール領域と非コントロール領域が存在すると同義になり、
 整理すると、コントロール領域を演技の歌声と称するならば、非コントロール領域を感情の込められた歌声と称する事になる。

 これら仮定から、想像するに
 私が強く彼女の歌声に感情を感じたのは、この非コントロール領域を強く感じたからかも知れないと言えよう。
 但し、仮定は仮定なので確証は無い。

 何故なら仮定を仮定たらしめる理由として、
 私の友人”直人”(仮名)の存在がある
 雨の中、捨てられ濡れそぼり、すがるように泣き寄る子猫を
 ノリで川に蹴り落とす事が出来る漢である
 感情の周波数なんて彼の前では木っ端みじんだ。


 次に彼女の姿・動作に感動したとして、その理由を考える

 私がどこで感情のピークを迎えたか冷静に考えてみると
 彼女が歌い終わり、その表情から歌のテンションが退いていき、全身から緊張が緩み、
 ただ乱れた呼吸を繰り返している部分であった。
 (この乱れた呼吸は、音域が苦しかったとか、声量が苦しかった等のつまらない理由で無いように感じられる
 感情的演技的に全てを出し切った者がする呼吸である。こればかりは経験者しかわからないだろうなぁ。)


 中略
 (歌声に感動したと同様な論法なので中略する、俗に言えば、あきた)


 この部分に私に感情をピークせしめる理由があるのでは無いかと想像する。
 但し、仮定は仮定なので確証は無い。

 何故なら仮定を仮定たらしめる理由として、
 私の愛人”○○”(風俗嬢)の存在がある・・・いないって(--;

 この続きは各自御想像下さい♪
 (自慰的行動としてはこの文章は矛盾してますね♪)

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